地震や火山噴火は予知できないという意見があります。
先日9月27日の御嶽山の噴火では、噴火の前に火山性地震が増えていました。
また、2011年3月11日の東日本大震災では、2日前の3月9日に三陸沖でM7.3の地震が起きていました。
これらが、それぞれの前兆現象だったと見ることもできますが、警戒には結びつきませんでした。
もっと研究が進んでいれば、予知できたのではないかと考えことができるかもしれません。また、無理と言われるとこに果敢に挑戦した科学者たちによって文明が発展してきたこともまた事実です。予知できなかったのは観測体制が不十分であったからであるとか、もっと研究を進めて予知技術を高めるべきだという意見もあるでしょう。
しかし、私はこのような意見に与することを躊躇います。純粋に挑戦的研究としてなら期待もできなくはありません。しかし、本当に予知できるかもしれないとして、現実の警戒や避難などの判断に使えるという期待を抱かせることは、かえって危険を生み出します。
予知が未完成であると、予知による恩恵よりも、
根拠のない安心や無警戒の危険が勝ります。警告がなければ安全だと勘違してしまい、被害を拡大していまします。実際に、東日本大震災の前には、2日前(3月9日)の地震は、予想されていた宮城県沖の大地震との関係について警戒を発しませんでした。御嶽山の噴火についても、火山性地震が増えていたのに警戒レベルは最低のままでした。
ある兆候に対して、警戒側に大げさに対策を打って結果として何も起こらなかったというのは問題が少ないのですが、
警戒を緩める方向での誘導は罪が大きい。つまり、予知技術が完成していないのなら、人々に決して期待を抱かせてはいけません。
予知を手がけるなら、なんらかの異常や兆候があればわずかな確率であっても、発生の危険があることを躊躇せず告知すべきです。確かに、危険が小さいにもかかわらず警戒を発するのは、社会的・経済的な影響が大きいので躊躇われるものです。しかし、
怯まずに警戒を発する覚悟がないなら、予知の取り組みは諦めるべきかもしれません。「予知」が「現代の錬金術」にならないことを祈ります。
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